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GREETING

​代表挨拶

GREETING

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KoreColorの企業サイトをご覧いただき、ありがとうございます。

代表の黒主厳太と申します。

 

私は、二十歳のときに一人で会社を興しました。

それまでの人生は山あり谷あり……もしかしたら谷ばかりだったかもしれないというくらい、なかなか波乱万丈で、「若くして起業してすごい」と思われがちですが、働き、稼ぎ、会社を立ち上げなければならないという状況での起業でした。

 

そんな私の半生と、起業の原点についての想いを少しばかり語らせてください。

​私の半生

 

<過酷な幼少期>

 

私の両親はパチンコが大好きでした。

父は網⼾や窓ガラスの張り替えの仕事をしていましたが、エアコンの復旧により網⼾の需要がなくなったことで収入が激減。それでも生活費は稼げていたはずなのに、そのお金はすべてパチンコに消えていき、借金までしていました。

 

家の中は荒れ放題で、叔母によると、叔母が玄関を開けて「げんちゃん」と私の名を呼ぶと「はーい」とゴミ袋の中から顔を出していたそうです。

 

家賃滞納によって家を追い出され、両親の借金は1,000万にまで膨らみ、叔母が「これはマズイ」と当時4歳だった私を児童養護施設に預けました。

叔母の勝手な行動に、母は激怒したそうですが、家庭状況から私はそのまま児童養護施設の世話になることになりました。

 

施設では中学生や高校生からいじめられました。暴言や暴力は当たり前でしたし、寝ている間に耳に穴を開けられていたのは衝撃的でした。

途中で施設が変わり、5年生までは施設で育ちました。

 

その後、両親のもとへ戻り、また家族で暮らし始めたのですが、相変わらず家は貧乏でした。学校の目の前のボロアパートで暮らしていたのですが、ここに住んでいることがバレたくなくて、窓から外を眺めて登校する児童が途切れるタイミングを見計らって家から出ていました。しかしすぐにバレて「お化け屋敷」と噂されました。

<自力で生き抜く力>

 

家が貧乏だったこともあり、私はもっぱらクレヨンで絵を描くことで時間を潰していました。そのためか、人よりも少しだけ絵が得意でした。

施設時代に、高校生の顔を描いてみたら、なぜか喜んでくれて嫌がらせをしなくなりました。私は「絵を描くと”何もされない”」ことを学び、それからは絵を描いて身を守るようになりました。

 

小学生の頃は休日に遊ぶ友達もいなかったので、一人で釣りをして遊んでいました。

ある日、釣具屋さんでミミズのような生物が500円で売られていることを知り、驚きました。お店のおじさんに聞いてみると「蚕養」という魚の餌だと教えてくれて、さらに「早朝に荒川に行けば取れるよ」という情報までくれました。

翌朝、自転車を飛ばして荒川に行くと、たしかに蚕養がたくさん獲れたので、釣具屋さんに自慢しに行くと、なんとおじさんが「300円で交換しよう」と持ち掛けてきました。

この提案にはビックリしましたが、それから毎日のように荒川で蚕養を獲って釣具屋さんで換金してもらうようになりました。これが私の人生で初めての「自分の力で稼ぐ」体験となりました。

 

子ども時代のさまざまな経験から「エリートになればバカにされない」と考え、あえて偏差値の低い高校を受験しました。その高校で学年一位を取り続け、生徒会にも入って活躍した結果、周りから一目置かれる存在になることに成功しました。

しかし、家は変わらず貧乏で、借金もかなりの額がありました。そのため、私は当時話題になっていたフリマアプリを使って「転売ビジネス」を始めました。色々試して失敗しながら、辿り着いたのが、ホームセンターで木の棒を買ってきて、削って、オリジナルの「バチ」を作り売るというものでした。これで成功し、かなりの金額を稼ぎました。

<就職から起業へ>

 

高校を卒業して、中小企業に就職した私は、毎日残業して一生懸命働きました。

社員は私を含めて2人しかおらず、社長との距離がとても近く、社長からは経営者としての思考について話を聞かせていただいたり、仕事の大変さを身をもって教えていただいたりして、多くのことを学びました。

 

社長にはとても感謝していましたが、自分自身が高校生のころから「いつかは社長になりたい」と思っていたことや、他にもっとやりたいことがあったことなどから、退職という選択をしました。

 

それから程なくして、母はがんで他界しました。

母に親孝行すらできずにお別れとなってしまったのです。

私が20歳の時、父の年齢は75歳とかなり高齢でした。もちろん周りの友達と遊んでいたい気持ちはありましたが、このまま父にも親孝行できずにお別れしてしまうのは嫌だと思い「これはのんびりしている暇はない」と覚悟を決め、自分の会社を設立しました。

当時、私はまだ二十歳でしたが、高校生の頃のバチ販売や、それまでに経験したビジネスの知識や経験を生かして、事業を始めたのです。

 

最初は一人だった会社も、今では16名の社員たちが集まり、大きく成長しています。

仲間たちと創っていく会社の”これから”、そしてお客様の”これから”が輝くよう、まい進していきます。

起業の原点

 

起業の原点は、私自身の過酷な幼少期や、自力で生き抜く力を身に着けてきた半生そのものと言えます。

 

例えば、私は絵が得意で、絵やアートに関する事業を展開していますが、これは「絵を描くことで人が喜んでくれる」という経験により確立したものです。

絵が好きで、自分が描きたくて描いている、というよりも、「人のために描く」ことが絵を描く原動力となっています。誰かを喜ばせたい、笑顔にしたい、という想いから、アート事業を立ち上げました。

 

また、「仕事をより楽しく、暮らしをもっと豊かに。」という当社のビジョンも、私自身の経験により策定したものです。私自身が「楽しく仕事がしたい」という気持ちが強かったことや、前職で大変な働き方を経験したことから、自由に自分らしく働くことには人一倍強い想いがあります。

「働く」ことそのものを楽しめれば、人生は彩り豊かなものになります。そんな鮮やかな人生を、働き方を、実現したいという想いで、KoreColorを設立しました。

 

KoreColorのロゴモチーフは、イエロー・シアン・マゼンタの3色を重ねるような形のデザインです。色の三原色といえば「赤・青・黄色」ですが、デジタルプリントの基本色は「イエロー・シアン・マゼンタ」そしてブラックです。世の中のすべての色は、この三色を混ぜ合わせてできています。さまざまな色の人との出会いを大切にし、その色の個性を引き立てながら、絶妙に融合させてチームとして活躍できる場としての会社を創り上げたいと願っています。そんな想いを込め、三色のロゴモチーフを作りました。

全ての色を混ぜると黒になること、そして私自身の名前が「黒主」であることも掛け合わせ、ロゴの中心部は黒色となっています。

 

KoreColorは、「色」が社名に入っており、ロゴの色にもこだわりました。

あらゆる”色”の人が活躍できる会社に、そして”これから”新しいものを生み出していく、価値ある未来を創出していく会社に、という意味を込め、親しみやすく覚えていただきやすい「これから」という名前をつけました。

あなたの「これから」をもっと豊かに。

KoreColorは、あなたの未来を応援いたします。

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代表取締役

黒主 厳太

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